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遅くなりましたが、理事長が毎日新聞に!

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もう半月が経ってしまいましたが、当協会理事長が朝日新聞大阪版に取り上げられました。

広島原爆の日:福島、行くよ 被爆体験し今も悪夢…でも--富山の心理カウンセラー

   

平和記念公園に立ち、原爆で亡くなった母と姉を慰霊する飯田さん。「やっぱり泣けてくるね」=広島市中区で2011年8月6日午前9時42分、藤顕一郎撮影

 ◇来月「傾聴ボランティア」

 6日に広島市で開かれた平和記念式典に参列した富山市の心理カウンセラー、飯田国彦さん(69)は、ともに被爆した母稔子(としこ)さん(享年25)と姉真基子(まきこ)さん(同4)を相次ぎ亡くし、孤児になった。生き残った後ろめたさを抱えてきた半生。9月、福島第1原発事故に揺れる福島県へボランティアとして向かう。東日本大震災で家族を失った被災者に我が身を重ねながら、慰霊碑の前で2人の冥福を祈った。【藤顕一郎】

 ◇母姉亡くし孤児に

 心理カウンセラーを養成するNPO法人「日本交流分析協会」(本部・東京都)の理事長。大震災後、家族を失った被災者の話に耳を傾ける「傾聴ボランティア」の研修依頼に応じて各地を回る多忙な日々だ。だが、自身が原爆で受けた心の傷は癒えていない。

 1945年8月6日、当時3歳だった飯田さんは爆心約900メートルの祖父宅2階から爆風で中庭に吹き飛ばされ、倒壊した家屋の下敷きになった。1階で被爆した母と姉は飯田さんとともに市内を離れて転々とするうち、約1カ月後に相次ぎ逝った。父親は既に亡く、飯田さんは独りに。栄養失調のうえ、窓ガラス片が全身に刺さって傷が化膿(かのう)し、寝たきりだった。爆風で2階から中庭に落ちる悪夢は今も見ることがある。

 何とか回復した後は親類宅を転々、小中高はそれぞれ別々の家から通った。「母が死んだのは、自分のために市内から避難し、体力を消耗したから」。そんな思いも徐々に強まった。

 今年3月11日、NPO事務所のある東京にいた。津波に押し流される街の映像を見て、広島の焼け野原を思い起こした。自責の念がよみがえる。また悪夢を見た。

 母と姉に抱いてきた後ろめたさは自分を苦しめてきたが、カウンセラーとしての自分を根っこで支えてきた。福島では傾聴ボランティアとして活動する。平和記念公園で献花しながら、亡き2人に「福島のために自分のできることをしてくるよ」と誓った。

毎日新聞 2011年8月7日 大阪朝刊


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